活動情報 詳細

東日本大震災の被災地に「幸せへの靴下」を届けました。

会員3名で「東日本大震災被災地 岩手県・宮城県・福島県」へ。
平成23年5月10日早朝 広陵町を出発しまた。

【幸せへの靴下9000足】     









 

【1日目】5月10日
・西名阪国道 〜 東名自動車道 〜 首都高速自動車道 〜 東北自動車道 〜 鹿沼IC下車
  名古屋で渋滞。
  以後は順調に北上、東京周辺がどうなるか?

【サービスエリヤで休憩】










ほどなく東京周辺も通過。
  福島原発のことを考え手前で一泊。
  宇都宮は‘餃子‘が有名。
  野菜が多く、あっさりしていておいしかった。
  明日はへ東北自動車道をどこまで上れるか。 
       
・栃木県宇都宮市 泊
 
               〜2日目につづく。

【5/11 奈良新聞 社会面に掲載】

          
 
【2日目】5月11日
・AM7:30 福島県宇都宮市出発 〜 東北自動車道( 鹿沼IC乗車)北上
  強行スケジュールのため、速度を上げる。
  
  宮城、岩手県に入ると段差は無いが補修もされていない亀裂状態のところも現れてる。
   〜 東北自動車道( 水沢IC下車) 
  とにかく被災地へと岩手県釜石市方面へ走ることにした。
  
  山間部を抜け木々の隙間より現れた風景は津波で被害をうけた海岸線が遠く見渡せる。
  「何、これ!」「うわ〜!」車内から声があがる。言葉ならない。
  普段であれば夏の海水浴をまつ長閑な砂浜であったであろう。
  釜石港に向かうと道沿いに地震による半壊の建物が多くなり、釜石港へ出ると漁協の建
  物は崩壊しており、埠頭の一部は瓦礫の山となっていた。

【釜石市外周道路】










【釜石港】                          破壊された堤防    








 
  
  釜石市街に入り、被災を受けた街並みを抜け、市内のボランティアセンターで被災状況
  や物資の不足状況などを係員より説明を受けた。
  「遠方の奈良県よりありがとうございます。救援物資の受付は・・・」
  と一般の説明となったが、「奈良・広陵町の靴下を必要とされるところに届けたい。
  物資が特定の人に偏ったり、受取場所に取りに来れない人もいると聞く。」と話をする
  と彼女自身も被災者で家は全壊し、子供の小学校は壊滅状態で他の学校に仮教室で勉強
  しているという。
  また、被災者の状況を尋ねると物資は提供されてはいるが、この場所に取りに来られな
  い生活に余裕の無い方がいるのも事実。
  被災者の多くは夢の中にいるような茫然自失状態で、これから事実を受け入れられるか
  どうか・・・  =30代の女性
  
  被災した建物の中、車を走らす。
  聞かされた学校等で一通りの説明し届けると、すべての皆さんが被災内容を調べて遠方
  より直接来て頂いた事に驚きとともに感謝された。


釜石市立釜石中学校



 構内に避難建物が併設され、周りは解体工事中で、
 埃っぽい中で学生がクラブ活動している状況。
 広陵町より預かったマスクも合わせてお渡しました。
 また、ハンカチが不足しているとも話された。
 


釜石市立鵜住居小学校】                    市立双葉小学校正門】       





  
        【奈良・広陵町の靴下】





 
  津波で壊滅状態となり、臨時に同じ双葉小学校の2階特別教室に職員室を設け、2校あ
  わせて授業をしている。
  尋ねた時対応された双葉小の校長先生は内々で2階へ案内された。
  鵜住居小では、今後の対処について先生方が厳しい表情でミーティングがおこなわれて
  いた。

  2階で靴下を届け、帰りに1階の双葉小の先生(校長と思われる)より諸事情を聞くと、
  双葉小より鵜住居小がひどいのでとのこと。

  
  ・被害の大小に係わらず、両校とも支援の必要性が感じられる。

【釜石神愛幼児学園 】                       【学園の正門】         





 

 
 平屋の保育園で、保護者のお母
 さん達がお迎えに来ていた。
 物資をお渡し後、保護者の方々、
 園長先生に最後まで見送られた。
 
  
  夕刻、一日が終わり帰路につく道々、商店街を通ると床上浸水した店舗や住宅を掃除す
  る人々がある中、シャッターは壊れたままで手付かず状態の個人店舗も目につく。
  幹線道は消毒の為か石灰がまかれており、ホコリっぽい。

  また、歩道の樹木は海水を浴びたせいで、茶褐色に枯れていた。

  後で教えてくれたセンターの女性に届けた靴下に喜んでいただいたことを連絡すると、
  自分の事のように喜んでくれました。                 
  
  近くに宿泊できるところが無いので盛岡市まで戻ることにした。
  車内では明日はもう少し北に出て南下するという。まだ北へ行くのか?
  北上すればそれだけ帰りが遠くなる。限られた時間で・・・
  今晩、阻止しなければ・・・体が持ちません。             =釜石市

・岩手県盛岡市 泊
 
               〜3日目につづく


【3日目】5月12日
・AM7:30 岩手県盛岡市出発 〜 一路宮古市に向かう。
  昨晩はもう少し北の久慈市へとの意見のあったが、300kmもの走行距離が増す
  さすがに帰着日の変更の話となると、各自事後とがある為宮古市で落ち着いた。
  
 
  12日は先日の釜石より北の宮古市より海岸線沿いに被災地南下することとした。
 山沿いから宮古湾に出ると一面赤茶けた海岸広がり、建物などが津波で損壊をうけ、
 船は陸地に横倒しとなっていた。
 宮古市といえば、全長2433m、高さ10mの「東北の万里の長城」言われる防
 波堤を破壊した津波は38mの国内最大級といわれている。
       =宮古市

【宮古市 市街】               道路沿いの状況










【宮古市 宮古湾】              埠頭は瓦礫の山        











漁協の建物の上に漁船が・・














  道路沿いの歪んだガードレールに沿って45号線を南下し山田湾に出る。
  海沿いは全て壊滅状態。目をひいたのは県立山田病院で、町立山田北小学校が避難所
  となっておりその東に位置する。

  玄関付近に車を止め、破損した1階より2階へ、防火扉を開けると、受付兼ナースス
  テーション。患者を診ながら、病院の機能回復の準備を進めている。

  責任者の方に面会を求め、会うことができた。
  責任者(院長)は普段の生活に戻るまで長い戦いとなると思うので、治療に来た患者
  さんや、またがんばってくれている看護師で利用させていただく。
  とお礼を述べられた。

【山田町】                  【県立山田病院 駐車場】 










【県立山田病院】                        病院表札  





        
        外来患者待合は外







  病院は新しく、外観はそのまま残っているが1階は浸水し機能回復のため改修工事中。
  2階に受付兼診療施設となっており、多くの看護師が忙しく勤務している。
=山田町

  大槌町へ国道45号線を南下する途中、高台の休憩広場でコンビニのおにぎりで昼食を
  とっていると、初老の小林重喜氏兄妹と出会い、妹さんが奈良県斑鳩町へ嫁いでいて、
  実家の釜石市が被災にあったので一時帰ってきたらしい。。
 
 奈良県から物資を届けにきたことをお話しする
 と
兄さんが被災を受けた釜石湾の大只越町の
 地元役員で、地元の被災対策のNPOに届けて
 くれるとのこと。
 靴下240足をお願いすることにした。
               =山田町〜大槌町





  国道45号線より、左折し海沿いに大槌町へ入る。
  大槌町も広く津波で全壊していて、その後の火災により焼失している建物多く、火災の
  怖さを知ることとなる。

  奥へ進んでゆくと町立図書館がかろうじて原型を保っているが、中でも象徴的なのは大
  槌町役場で、3月11日震災を受け全壊した役場の町長が21日に遺体で発見されたこ
  とが思い出させる。

  瓦礫で埋もれた看板の後ろに建つ全壊した役場の姿は衝撃をあたえる。   =大槌町


【大槌町
】 国道走行中の車内から       周辺が壊滅状態        
          









  入り口付近            国道45号線より左折し、中心市街地へ









  
  大槌町は焼失は広範囲範囲。     


  
  被災した学校                1階が破壊したビジネスホテル











                   【大槌町役場】













 
 来た道を戻り、45号線を南下し昨日きた釜石市を通過し、大船渡市へ。

               〜3日目(後半1)につづく


【釜石市外周】 国道走行中の車内から      被災した建物










【釜石市両石湾】 堅固な堤防が全壊





 




【両石湾河口付近】                         不明者捜索中 










 国道も警察による交通整理が続く             パトカーのあとを歩く警察
 


 







  国道の両側は被災した建物が連なってくる。海側より、国道を越えて津波被害をうけた
  のがわかる。
  瓦礫も散乱し、津波の怖さを改めて知る。
  海岸線の道路では、防波堤にコンクリートが横倒しとなっている姿も見られた。
  しばらく進むと、海と川の合流場所に出た。 
  川の出口には水門があり、道路との間の低い川岸をパトカーが先導して10人程度の警
  察官が連なって歩く。
  今現在も遺体の捜査をしているらしい。                =大船渡市

   山の木々の中を抜けると自衛隊の駐屯地が見えてくるが半端な広さではない。
   濃灰色のテントが多くあり、話に聞くと入浴は週に2回で災害活動に従事している。
   パトライトをつけた覆面パトカーが何台もすれ違う高台を越え、茶褐色の土に覆われた
   田を過ぎると前に広がった途方もない広さの被災地の光景。 =陸前高田市(広田湾)
  
  
陸前高田市に入って道路を進むと前方の舗装がめくれあがり、道がない。
   路肩に車を止めて車外から改めて周囲を眺めると、水がひけておらず、瓦礫の中、木造
  
の住宅、車、大きい道路標識、は半分土砂に埋まり、鉄筋コンクリートの住宅も逆さま
   になっている。
  
遠くには白いマンション2棟が異様に映る。
  
そのマンションに近づくと4階まで津波がきたという建物とわかった。被災地中央に車
   を進めると警察官の指示で右折する。
  
道の両側は瓦礫の山で道は風で埃が舞う。道はあるものの周囲一面瓦礫の山を進む。
  
「爆弾落とされたよりスゴイ!原爆落ちてもここまでには成らん。」こんな状況下で1
   日中 働いている警察官や自衛隊には頭が下がる。
  
そんな中、右へ、左へ進んでいくが一向に出口が見つからず、迷うこと1時間、ようや
   く迂回路に出た。
 

【陸前高田被災地に入る】              遠くに見える白いマンション










崩壊した道路                 被災地の全景



 


流された道路標識、車             流された木造家屋










逆さまになったコンクリート住宅        被害をうけた船、車










 
  被害の大きい地域を探し340号線を進むと仲の沢公民館が目に入る。
  責任者の方に話を聞くと「遠いところありがとうございます。この避難所(公民館)は
  5月の15日で閉鎖される。物資は足りているとのこと。」
  ちょうど秋田県の薬剤師会が各地避難所を巡回に来ていた。
  挨拶をして話をすると「遠いところご苦労様です。」何かあればということで名刺を交
  換した後、竹駒コミニティーセンターを紹介された。
  センターに行って話を聞くと先の公民館と同様、物資は足りているという。
  近くで聞いていた竹駒保育園の先生は首を傾げていた。その時は判らなかったが、後で
  理解することになる。
  しかし、陸前高田市の被害は尋常ではないが、瓦礫の撤去の重機、ダンプなど見当たら
  ない。静かなものだ。早くしないと10月には雪が降る季節が訪れる。
  こんなことでは復興など明かりすら見えないのでは。被害の大きさに涙さえ出なかった
  が、現地復興の無気力感に政府への怒りをこえ失望を覚える。   =陸前高田市竹駒

【陸前高田被災地外周】            国道沿いの被災建物










【陸前高田被災地 竹駒地区】         竹駒地区内部集落










 1本だけ残った松              山越えの国道











  陸前高田を後に45号線を気仙沼市へ。
  午後からは小雨交じりの天候になり、国道より市街地を気仙沼湾方向へ進む。
  道の両側に建つ商店などは地震の被害が大きく現れてきた。
  道の突き当りを右折すると気仙沼湾が見えてきた。
  道路は破損し、舗装はめくりあがっている。
  観光船の乗降する桟橋は海に崩れ落ち、一部駐車場は破損車の堆積場となっている。
  近くでは3階建てのビルの隣までそこそこ大きい船が流され、建物との間の電柱に津波
  で流された車が立った状態で安全のため、ロープで電柱に縛られていた。
  湾岸沿いを先に進む。テレビでもよく見る光景の第三明神丸、タンカーが道路上に、転
  倒防止に鉄骨鋼材で支えており安全ロープが張られている。
  先には船が数隻座礁し、焼け焦げた姿のまま放置されていた。      =気仙沼港

【気仙沼市】                 観覧船桟橋 










 流された船                 道にのりあげた第三明神丸










 失火した船                 破損した道路










 
  女川原発を避け、信号機が機能していない石巻市に入る。
  石巻港は、冷凍施設、加工など漁協関係の施設が多い。
  また日本製紙、東ソーなど大手企業の工場があり、周辺には住宅地が多い。勤務中に
  被害にあったのであろう他県と比べて死者数も多い。
     ・阪神淡路大震災 死者数 6434人
     ・東日本大震災  死者数 6477人 (3月27日時点)
  中央分離帯がある片道2車線の道路には破損車を中央グリーンベルトによけてある。
  石巻港に車を止め外に出ると悪臭がすごく、漁協の建物はほとんどが全壊状態
  建物は鉄骨造のため陸前高田と違い形は残っている。
  日本製紙の工場も横波を受け損壊しており、地盤の高さが0.6m以上も沈んでいる
  箇所もある。
  瓦礫の撤去や、搬出は頻繁におこなわれており、復興への力強さが感じられる。
  隣接する住宅地に入ると建物は残っているが、窓ガラスが津波で全て無くなっていて
  中のカーテンが風に靡いている。
  生活観が残ったままの被災状態に目を覆おう。             =石巻市

【石巻港】                                被災した漁協の建物










 港全景1                   港全景2 










 港全景3                  港全景4










 日本製紙石巻工場              同工場 









 
 被災し焼失した工場             道路が80cm程度沈下









 

              〜3日目(後半2)につづく

 
  悪臭が鼻についたまま、東松島市に向かう。
  道路肩の歩道付近が崩壊はひどいが信号機が回復してきた。
  見渡すと遠くまで平坦の農地が広がる。
  例年であれば、田植えの最中で長閑な風景であろうが、今はまったく違う。
  津波が内陸まで侵入し、瓦礫や生活ゴミ、樹木が根をつけたまま流されてきて、緑の
  田は、一面泥で覆われている。
  海水を被った樹木は茶褐色に枯れていた。
  国道を右折し、壊れた踏切を渡ると目的地の「障害児相談支援センターぎんの星」に
  着いた。
  施設長の三浦氏が迎えてくれた。
  挨拶もそこそこに持参した靴下と広陵町より預かったマスクを下ろすと、入所してい
  る皆さんと写真撮影となった。
  事務所で被災状況を聞くと1m以上冠水し、やっと落ち着いたところだそうだ。
  出していただいたコーヒーに少し口をつけ、次の小学校へその場をあとにした。
  ゆっくり時間をとって頂いていたのに申し訳ないことをした。

【東松島市】国道沿いの歩道          周辺の水田 泥が堆積










【福祉施設のみなさん】                     施設の表札







       施設長の皆さん 





 
  市立大曲小学校に着く。
  運動場の泥が堆積し搬出作業中。建物の1階も清掃中で2階の職員室で教頭先生お話
  し、支援の靴下と、町よりのマスクを提供する。
  「遠いところ、ご苦労様です。生徒達や父兄の方も喜ばれます。」  =小学校教頭
  市立大曲保育所へは住宅地を進んでいく。
  周りの住宅は地震で被災を受け、今ではあまりわからないが床上浸水した住宅が多い。
  所長に挨拶し、靴下とマスクを届けると玄関門の外まできてお礼を述べられていました。
  「時間があれば子供達を呼んで・・」と。
  時間が無いので遠慮すると深々と他の方と一緒に深々と礼をされていました。
  市立赤井南保育所に着く中から子供達が顔を出す。
  資料と靴下をお渡しすると、「遠方からありがとうございます。助かります。
  皆さん出てきて。」との声に児童が出てきて
      「わぁ〜 くつした」・「わぁ〜 くつした」記念写真となった。
  また、先生方もでてこられ喜んでいただきました。

【市立大曲小学校】










 自衛隊が撤収した運動場                    届けた靴下









 
     ・石巻湾へ続く定川の近くに位置し、1.7mまで浸水、泥だらけになった1階
      を清掃。外壁には浸水の後が残っていた。
      被災当時は電気、水のライフラインが断たれ自衛隊の炊事車が常駐していた。

【市立大曲保育所】











住宅地にある保育所。住宅地は地震で損壊し、床上浸水。


【市立赤井南保育所】保育所の子供達            保育士のみなさん 















  宮城県を後に塩竃市へ
  東松島市を南下する道は、一面津波で押し寄せた瓦礫の中を真直ぐ走る。
  大きな松が根こそぎ流されている。
  電柱はなぎ倒され、ガードレールは引きちぎられて、10tのトレーター、大破した
  自動車、列車の車両、冷蔵庫、洗濯機、フェンス、パイプ、コンクリートの排水管な
  どありとあらゆる物が泥と一緒に流れている。
  全壊したコンビニの駐車場に車を止めて周りを見渡すが、溜息だけがでる。=塩竃市

【塩竃市】道路沿い全景1           道路沿い全景2










 道路沿い全景3               コンビニの駐車場 







  


 水田に大破した車              水田に流された松 











  塩竃市から仙台を経由し福島県へ
  国道4号線を南下、平坦地の中の道路を走る。
  海に近づくと道路の両側に冠水での水溜りが目につく。
  仙台空港近くの名取市ではボーリング場を遺体安置場としている案内板がたて掛けて
  ある。

【仙台空港付近】                    【名取市 仙台空港近く】






 




 
  
  福島県へ入ると屋根に青いビニルシートが目立ち始めた。
  建物の屋根の棟瓦が崩れており、棟自身が落ちている建物もあった。
  福島県相馬市に入った。
  国道6号線を南下していくと、道路の脇に船が現れた。
  船体も破損しているがガードレールを破壊し、歩道をふさいでいる。

【福島県】震災を受けた建物1          震災を受けた建物2    










【福島県 相馬市】船が歩道をふさぐ










  福島の避難状況を知るのに、相馬市役所に立ち寄った。
  案内から3階総務、担当者へ連絡、2階の物資受付、挙句の果てに2キロ先の建物へ。
  物資の届いていない所に届けたい。と会うたびに説明していたのに。
  一般の人、役所関係者などから、いろんな情報を集め被災の大きい小学校2箇所が判
  った。
  時間は夕方4時半をまわる。
  市立中村第二小学校へ。そこで問題は起きた。
  裏門から入り、避難所の体育館と校舎の間の空地に車を止めハッチバックを空け、し
  ばらくすると避難所へ40代の女性と、小学4、5年生(女子)の親子が車で帰って
  きた。
  箱の描いてある靴下の絵を見て
  「奈良からご苦労様です。」挨拶し「奈良・広陵町の靴下」が不足している所や、喜
  んでいただけるところへ届けていることを話した。
  避難所の中にも小さな子を持つ家族もいるとのこと、靴下を中で仲良く配るというこ
  とでお渡しした。
  避難所の扉の隙間から同行した仲間が見ていると、
     「みんな これ見て〜」「わぁ〜可愛い靴下」「レッグウォーマーや〜」
  など明るい声が響いていた。
  私はそんなことは知らず、校長と話をして、最終的にその避難所内の責任者と会うこ
  とになった。
  「もってきたいただいた靴下はこれですか?」開けられた箱を指差し尋ねられた。
  うなずいて「足りますか、足らなければ・・・」
  後2箱を追加して責任者と受け渡しをしていると、他の担当者が開けられて靴下の箱
  とあわせて小学校内の物資の倉庫へ運んでいった。
  避難所の扉を開け外へ出ると、2人の婦人が仲間2人に声を荒げている。
  何か問題起こったのかと尋ねると、せっかく遠方より持ってきた靴下を中で喜んで分
  けようとしていたら、また倉庫に運び出した。
  「何時もそうだ。私達は何も当たらない。」
  「生活するのに、外で働いて避難所にかえると何も無い。暇で中にいる人がすべて取
  っている。シーツもそうだった。」
  「こんなことばかり、管理者がしている。不公平だ。」
  2か月避難所生活の不満のあるのだろう、少し後味の悪い思いで学校を後に、
  磯辺小学校に向かう。

【相馬市】磯部に向かう途中           道路沿いの風景1





  
 



 風景2                    風景3 









 
  
  時間は5時半を過ぎている。
  市外を抜け田園風景の中の道を進むと、何時ものように田は泥だらけの茶褐色が夕暮
  れにより赤く映る。
  先では2隻転覆状態。今度はモーターボート、例によって自動車と続く。
  立派な蔵をもつ家は瓦礫の中に建つ、船も数隻押し寄せている。
  道が通行止めとなり、迂回をしても遠くなる一方で、通行止めの標識があるところに
  戻り、時間もないのでとにかく進むことにした。
  通行止めの原因は船が道をふさいでいたのだ。
  しかし、今はレッカーで船先を吊上げ通行できるようになっていて、他は通行に支障
  は無かった。
  ナビで見ると海の方向に進んでいるのが判る。
  対向の軽自動車が2台、中には若い背広姿の男性が数人乗っているのが見えた。
  多分、小学校の先生だろう。時間がおしているので、スピードを上げる。
  
  道なりに右へ曲がると磯辺小学校に着いた。
  正門から中へはいると学生の送迎バスに横づけし、ハッチバックを開け、靴下を選ん
  でおろす。
  バスの中にいた生徒が中を覗きのみ、笑顔が見える。
  すぐバスが発車し、中から生徒達が笑顔で手を振って正門から出て行った。
  電気のついている職員室、勝手口より挨拶する。
  中から先生(校長)が出てきた。
  挨拶と説明すると「遠方はるばるありがとうございます。実は私の学校でも職員、父
  兄はもとより亡くなった生徒がいる。
  「学校に残っていれば助かったのだが、留守番のために家に帰って被害にあった。
  此処に残っていたら助かったのに・・・」
  降ろした「広陵町の靴下」と町よりのマスクの前で写真を撮り書類にサインを貰う。
  義援金はもとより、他に何かできることはと、広陵町のみなさんから自ら生産した地
  域産業の靴下を必要とされるところに送ろうと託されてきました。
  「これから普段の生活に戻るまでは長い戦いとなると思います。
  生徒さんも先生方、父兄のみなさんも被災に会われている方々みなさんで使ってくだ
  さい。箱には生産者はじめ、協力いただいたみなさんの応援メッセージを入れてあり
  ます。また、まとめ書きしたものもお渡しします。」
  「遠い奈良の地より、みんなで応援していますので体に気おつけられ、ガンバッテく
  ださい。」と何時ものように声をかけると深々と礼をされ、その目からは一筋涙が落
  ちました。
 
【市立磯部小学校】













 
  日が暮れて宿泊する郡山市に着いたのは9時半を過ぎていた。
  宿泊の手続きをして近くの店舗に。
  店主からいろんな話を聞くと自分の子供達も孫を連れて京都に避難した。
  意外と此処郡山市も汚染(放射能)もひどいとのこと。
  お客さんの関係者で被災している人も多数いるという。
  お店の一角に掲示して、そんな方に渡してあげるというので少しお願いした。
  聞くと福島県は原発の放射能の影響で避難されている人達が郡山市のビッグパレット
  にいる。
  ある程度の人は親戚や友人を頼り、避難したとのこと。 
  残っている人は行くあても無い人たちで困っている。

・福島県郡山市 泊
               〜4日目につづく 

【4日目】5月13日  
  朝7:30”ビッグパレットふくしま”(郡山市)に向けて出発。
   市内を走っていくので被害などはあまり見当たらない。
   何回か通行人に尋ねながらようやく目的地に着いた。

  【ビッグパレットふくしま】          避難所の皆さん











 建物内の様子                 図書室などの共用施設 











 受付作業                   靴下の搬入作業










  銀色の大きい建物は、国際会議から個人の展示場として使える多目的施設。
  現在は、県内の富岡町と川内村の避難者1000人以上が身を寄せている。
  
2人を残して受付を探す、警備員に聞くと別の場所を指示される。
  建物を半周して中に入ると忙しく動く人達がいた。
  一人の女性に用件を伝えると私達もボランティアできている、建物内の状況は彼に、
  と役所の人を紹介された。他府県の役所の人で応援にきているが、中の状況は判らな
  い。
  建物を半周し、受付へ行く。途中、消防車、救急車などが建物の周りに停車されてい
  て、マスクをした避難者の人達が外で話しをしている。車椅子の老人もいる。
  受付の年配女性に一通りの話をし、中の状況を聞く。
  「この建物の中でいる方は必要なものは一通り揃っています。物資の受付場所を紹
  介・・・」
  「違う。不足している処へ、喜んでいただける処へ」同じことを又、説明すること
  となった。
  「一部の方が物資を沢山手にしている。またその物資を売りに行く人もいる。避難
  所回りをして物資集めをしている。など他で聞く。此処ではどうか」
  と尋ねると、確かにその様な事があって問題になった。
  「諸事情があってこちらに来れない人も沢山いて、その人達の支援が問題なのです。
  判りました。」係りと相談してくるので待つように言われ、少し厳しい表情で奥の
  扉の中に消えた。
  10分ほどすると、案内すると物資の受付場所に同行し、責任者を紹介された。
  内容は聞いていると言うが再度説明すると、今では外部からも取りに来ていただく
  受付場所を設けて、手渡した物資内容とその住所氏名を書いてもらい整理している
  とのこと。
  こちらからほんとに困っている人、喜んで使ってもらう人に渡すとの約束で彼に託
  した。
  靴下の搬入は他の人に任せて、所定の書類にサインし、こちらの書類に署名を求める。
 「住所は此処で良いすか?」不思議に思い詳しい話を聞くと自分達もボランティアで
 役所の人ではないという。
 「遠方から直に物資を持込まれ、そこまで言われる方は少ないですよ。」
 今日は土曜日なので役所の人は休みだそうだ。

【避難者の方に捕まりました】          近くの仮設住宅建築中









 
  建物の外に出ると日も高くなっていて、午後2時を過ぎていた。
  今度は2人の仲間が自転車に乗った男性に絡まれている。
  近づいて話を聞くと、この建物に避難している人で、2ヶ月経っても見通しのつかな
  い状況下、仮設住宅の特定メーカーへの偏った発注、避難施設の生活環境への不満、
  過去の福島県行政への不満、この期におよんでの某政治家への不満など懇々と言って
  いたらしい。
  仲間2人は、聞くことで少しでも鬱憤がはれるのであればと思い、また、地域ならで
  はの面白い話もあったので付き合っていた。
  みなさんより託された「奈良・広陵町の靴下」を配り終えて安堵し、帰路につく。
  この5日間を振り返ると配り終えたという充実感がある反面、何か心におかしな隙間
  できた。
  ・東北自動車道 〜郡山IC乗車 〜首都高速自動車道 〜東名自動車道 〜西名阪国道  
  運転を交替しながら奈良へ

 【5日目】5月14日深夜 奈良に帰着 
          
  5月15日(日)ゆっくり休めず、協力いただいた方への報告書を作成。
  皆さんに報告書と、被災地の現状、届けた靴下に感謝されたことなどをあわせて報告
  させて頂きました。
  直接現場の生の声を聴けて協力した甲斐があるとうれしい言葉を頂きました。
  協力者の一人からは「次は?」と・・・
  少し休憩した後、皆さんで考えたいと思います。

 【今回の事業で学んだこと】
  北陸3件の被害の様子、届けた箇所、喜んでいただいたことなど細かく報告する中で
  胸につかえていたことが判った。

  人は想像以上の被災現場を見ると涙もでない。
  茨城県はともかく、岩手県全般に復興の勢いがない被災者のことを考えると早く復興
  の道筋をつけて、希望を与えること。

  救援物資などは偏ってしまっていて、細部に配られていない。
  必要なところに必要なだけ届けるには、行政が避難所や物資の管理をするのではなく
  、被災地の地域の状況を人も含めて細かく把握している住民や、ボランティアが運営
  管理をする必要がある。

  義援金も大事だが、被災地に出向き直接会って物資と、気持ちを合わせて届けること
  は非常に大事なことと痛感した。

  手渡した全ての方から、感謝の言葉を述べられ深々と礼をされた目から涙かこぼれる
  のを見ると、その度に泣けてくる。
私達は少し落ち着いた被災者にこれから何ができ
  るのか考えることが必要だ。

 
5/30 奈良新聞 社会面に掲載】











































■靴下を届けた小学校の生徒さんからお礼のお手紙を頂きました。


お礼の手紙
 
   
  今回私はわたしたちに、ソックスをくださってありがとうございました。
  しんさいごは、衣服などが不足し、大へんでした。
  なので、着るもの、はくものなどはとてもうれしいです。
  わたしたち、磯部小学校は、今回のことにより、117人から66人にへってし
  まいました。

  わたしたちのクラスでも1人が死亡、6人がてんこうしてしまいました。
  しかし、このようなやさしい心を持った方々の協力はとてもうれしいです。
  今回はありがとうございました。
                       磯辺小学校6年 細 田 瑞 生
 

お礼の手紙
  
  ソックスありがとうございました。
  大事にはかせてもらいます。
  
  私たち磯辺小学校は6月3日(金)にはまなす館(相馬市総合福祉センター)と
  いうところで、こてきの発表会をやります。

  今はその練習のためみんながんばっています。
  私はトランペットをやっています。
  1〜3年生はぽんぽんをやり、4〜5年生はトランペット、トロンボーン、鉄きん、
  木きん、ピアニカ、大だいこ、中だいこ、スネアドラム、キーボード、指き者をや
  ってます。

  
  6月4日にはEテレビで私たち6年生が「21人の輪」というテレビに出ますので
  ぜひ見てみてください。
                      磯辺小学校6年 但 野 みなき